あのさ、あの日どうしてビールを投げ返してくれたの

夕方、シートを作っていたら、 ccでメール届く。

「〇○さん(わたしの名前)はあの日、初対面の私に二時間半もまちづくりについて 

かたってくれやがりました 笑
今回の子は、まちというよりはCSRに興味があるようです」

そして社長の体調、まだ悪い。
検査結果はまだ分からないけど、日々様子を見ていると
結果が良いわけないよなと思う。
昨日、夜遅かったのにそわそわして電話してしまったけど、
迷惑だったかもしれない。
私は大丈夫ですか連発で、社長はそういわれると
「大丈夫だよ!」と言わざるを得ない人なので、
私はただ自分が「大丈夫」って声を本人から
聞きたかったから電話したのかもしれない。


あぁあとこの間、面白いお見せを知りました。

もともとだだっぴろい小麦畑が広がる場所を
「畑しかない、ではなく、これを売りにしよう」
という場所の読み替えによって
逆に視界の開けた小麦畑のど真ん中にレストランつくって
大自然の中で北海道のチーズとかワインとか楽しんでもらえたら
というコンセプトでつくったもの。
十勝の食材を使ってるといっても、ワインは甲州の白とかだとい。
目くじらを立てての「とにかく地産地消」は目指さない。

逆に地元にこだわることで、
停滞が生まれ他の地域との交流が断絶される。

十勝食材を使うのは地域活性化のためでなく、単に良い食材だから。
それでワインについては、甲州の白がいいので使うというだけのこと。

商店街の活性化とかシャッター通り問題とか、色々言う。
活性化しなきゃだめだ、と。廃れているのは問題だと。

単にまちを(商業的に・見た目的に)活性化したいのなら、
どんどん深夜まで営業してる大型SC全国につくっていいと
思うのです。

営利だけでなく同時に中途半端にまち文化とか求めて
わけの分からない時流に乗ってるんだか知らない
一時的なイベントや開発なんかをして、持続できずに頓挫する。

でもそもそも、シャッター通は何が問題で
それは誰から見て問題なのか。。

問題は空き店舗を埋めることじゃなくて、
もっと根本的に、
カミなきイベント、普遍的で不易なテーマを追求するのではなく、
何度も何度もその時代に合わせてまちを読み替えて実行していけるまちの人の体制づくりをしていくことだと思う。

ご当地キャラクターは思いついたら永遠もので何度も使えるものなのか、地域通貨や一店一品運動は一度流行りさえすればずっと需要が
あるのかと考えたとき、
ある年月を経れば遅かれ早かれ大半は廃れる。

問題は「あのアイディアだめだったね」で活動が
終息してしまうことで、
そんな、何かが終わったことはそのことの失敗は意味しないし、
ただ時代が変わっただけで、そうした時代の流れに対応して
いつまでも「じゃあ次はこれやってみよう」
といつまでも新陳代謝していけるまちづくり、人づくりが
一番重要なのかとも思う。

その中で、廃れるものはすぐ廃れて、続くものは続く。
有効期間の長さは単に長さであって、
そうした柔軟な動きの試行錯誤の中でしか、いつかどかんと
大きなものは生まれないんじゃないかと思った。
えらそう、私。



というのと、先週、ばりばり働いているSさんの横顔を見ていて、
私はいつか、この人の立っているところまで追いついてみたい、と
思った。
Sさんが私の中にいつまでもずっと残って、
それは別にsさんがsさんのいる場所に帰ってしまったあとでも、
逆にそのあとからいっそう浮かんで、
「たまには思い出して」と言われた日から
毎日考えている。

私はあの日にゴミ箱の前で
S井さんが話しかけてくれて名刺をくれた時から、
自分の毎日の延長線上をずーっとたぐりよせていけば
S井さんの仕事している姿につながってるんじゃないかと思える、
幸せな錯覚。